The Checkers 結成
デビュー

享は東京に就職する予定だった。
郁弥はとりあえず、国鉄の就職試験を受けた。
高杢は専門学校に行くことにしていた。
裕二は地元の大学へ進学することにしていた。
"チェッカーズ"は、享の東京行きに、解散することになっていた。

しかし、享はその東京行きを突然やめた。
"チェッカーズ"は再び活動開始し、8月に行われるコンテストに出場することになった。
当時は空前のバンドブーム。
上手いバンドはゴロゴロいた。
また郁弥はフラット病に悩んでいた。コーラスに重点を置くチェッカーズにとっては少々問題だった。
しかし彼らは出場できるだけでもいいと思っていた。

L−MOTION九州大会当日。
"チェッカーズ"は予想もしていなかったグランプリ受賞を手にしたのである。
そして必然的に全国大会出場のチケットも手にした。
その本選での出場資格は18歳までだった。年上組みは年をごまかした。

9月、いよいよ本選大会。
コンテストはつまらなかった。もしかしたら優勝するんじゃないかと思うほどだった。
しかし彼らはそのコンテストの最中にグランプリを取るバンドはすでに決まっているらしいという噂を聞いた。
なんてつまらないんだ!優勝するバンドがすでに決まっている形だけのコンテストだなんて!
年下組みは翌日の学校出席の為、結果を聞くまでもなくすでに会場を後にしていた。
結果発表の時。
優勝が決まっているというバンドが呼ばれたのは、準優勝の発表の時だった。
"チェッカーズ"はグランプリを獲得したのである!
飛びぬけて技術が優れているわけではない。
彼らより上手い技術を持つバンドは他にもいたのに、"チェッカーズ"はそのパフォーマンス性にかなり高い評価を受けたのだった。

デビューが決まった。
口約束だけだったが、年下組みの高校卒業を待つことにした。

週一の練習には必ず行っていた。
享や郁弥は働きながらもがんばっていた。
しかし、不安がないわけではなかった。
「本当にデビューできるのだろうか。」
デビューを約束してくれた会社からの連絡はほとんどなかった。
小さなことでもメンバー間でしょっ中ケンカをしてしまう日々が続いた。
尚之は郁弥と一緒に上京することを親に猛反対されたりもした。
ただただ待つだけの日々は、期待ばかりかイライラが募る日々が幾度となくあっただろう。

1983年3月。「上京するように」と連絡が入った。
「久留米で一番のバンド」となった"チェッカーズ"は「日本一のバンド」になるために東京へ向かった。
もしかしたら彼らは、この頃から「日本の音楽業界を変える」未来を予想していたのかもしれない。




参考文献:PATIPATI、セブンティーン付録、BEST HIT、JUNON、単行本「もっとチェッカーズ」

2003年4月 かお