1979年、福岡県久留米市。
当時17歳だった藤井郁弥は先輩たちと一緒に"カルコーク"というバンドを組んでいた。
小さな頃は弱虫で内気だったという彼は、中学の頃テレビで"キャロル"の解散コンサート"グッバイ・キャロル"を見て彼らに憧れ、
コツコツと溜めていた自分のお小遣いで初めてギターを買った。
その頃近所で幼なじみの高杢禎彦と一緒に"ポパイ"という文化祭バントを組んだ。
ロックンロールバンドで、郁弥はギターとボーカル、高杢はベースとボーカルをそれぞれ担当していた。
高杢は高校に入ると、校則だった坊主頭にかなりの抵抗を感じ、憧れていた"クールス"を真似てひげを生やした。
郁弥とは中学卒業後は一時疎遠だったが、高校でバンドを組むことになり、"キャロル"の楽譜を借りに行ったりと、また交流するようになる。
同じ頃、武内享は"シェイク"というバンドを組んでいた。
中学の頃、ギターを弾く友人の姿を見て自分もやりたいとギターを始めた。
郁弥と同様、彼も"グッバイ・キャロル"を見て、"キャロル"に憧れた。
しかし、彼が最も尊敬し憧れていたのは"ビートルズ"であった。
彼のバンド遍歴は多く、母親の経営するスナック"シャルマン"にて、最初のバンド"市民平等"を結成した。
その後中学の友人らとともに"ミミズ"を結成、それから"シアーハート"、"アリアケタケシとムツゴロウ"、
そして大ファンだったアイドルの名をとって、"キャンディーズ"と続き、"シェイク"に至った。
享のいる"シェイク"と郁弥のいる"カルコーク"は、当時地元久留米で行われていた"ダンスパーティ"で、人気を二分していた。
1980年、"シェイク"解散後、「久留米で一番のバンドを作る!」と享は"チェッカーズ"を結成した。
郁弥のいた"カルコーク"も先輩の卒業と同時に解散が決まり、新しく別のバンドを組む予定を立てていた。
毎週行われていたダンスパーティで必然的に顔見知りだった享は、郁弥を"チェッカーズ"に誘った。
新しく組む予定のバンドからも何の音沙汰もなく、郁弥は享の誘いに乗ることにした。
「新しいバントを作る」と郁弥から聞いた高杢は、「じゃオレも入りたい」と加入を決めた。
しばらくした後、ベース担当が脱退した。
新しいベースが決まるまでと、臨時で入ることになったのが、郁弥の弟、尚之だった。
尚之は兄の郁弥とは対照的で、小さな頃は活発で元気な子だった。
小学校の頃は用務員のおじさんに憧れる反面、たばこを吸って問題を起こすこともあった。
彼が中学の頃、高杢より買ったベースで"100'S"というバンドを組んでいた。
"クールス"が好きで、バイクに夢中になっていた少年だった。
尚之が"チェッカーズ"にベースで加入したのは、彼が高校1年の時だった。
ある日のダンスパーティで、郁弥は鶴久政治と出会った。
春休みを利用してダンスパーティに参加していた政治は、"フィフティーズ"というバンドでボーカルをしていた。
郁弥は同じ高校に後輩として入学してくると、政治からその時聞いた。
政治は親戚の競輪選手に憧れていた、野球少年だった。
中学の頃は野球をする傍ら、学校で強制的に慣わされていたギターもあって、お遊び程度でバンドを組んでいた。
"チェッカーズ"に勧誘されていたものの迷っていた政治を、享らは練習場に連れて行き、半強制的に加入させた。
大土井裕二は、福岡市内で"シークレッツ"というバンドを組んでいた。
"キャロル"の矢沢永吉に憧れて、中学の頃訳も分からないままベースを購入、そして組んだバンドが"キャロル"と"クールス"を合わせた"コークス"であった。
高校入学後すぐに結成したバンドは"マリア"、その後"シークレッツ"を結成した。
久留米で結構大きなダンスパーティが開かれているというのを聞き、"シークレッツ"は久留米まで足を伸ばした。
そんな裕二を、"チェッカーズ"は放っておかなかった。「上手いベースが欲しい」と、裕二を執拗に誘ったが、彼は"シークレッツ"を抜けて"チェッカーズ"に加入することを拒み続けた。
しかしその後、"シークレッツ"は解散。
裕二の家まで押しかけて勧誘し続ける"チェッカーズ"に、彼はとうとう折れざるを得なくなった。
裕二加入後、臨時だった尚之は、「チェッカーズにいたかっらたサックスをしろ!」とメンバーに言われ、彼は中古のサックスを購入し、一人地道に黙々と練習をした。
同じ頃、飛び抜けて上手いドラムがいた。彼が中学生だと聞いてみんなびっくりした。
それが徳永善也だった。
彼は小さい頃から登校拒否だった。国鉄好き、8ミリ好きの少年で、ブラスバンドでトランペットをしていたが他のブラスバンドのドラムを見てトランペットをやめ、ドラムセットを購入した。
夢中で練習し、中学の頃出会ったギターを弾く友人らとバンドを結成した。それが"キューティス"だった。
"キューティス"は"カルコーク"の前座をしたこともあった。
中学生バンドでありながらドラムだけ目立って上手い彼を、"チェッカーズ"は無理矢理車に乗せ、
「チェッカーズに入らなければ山に埋めるぞ!!」と脅したのである。